ゲームが好きではないゲーム開発者ってありなの?
ゲームに興味ある人なら、ネットでこのようなことを言われているのをよく聞きます
ゲーム会社ってゲーム好きを雇わないらしいぜw
ゲーム会社内には開発者以外にもたくさんの職種(法務、総務、経理など)が存在しますが、ここでは
ゲーム会社ってゲーム好きを(開発者として)雇わないらしいぜw
という意味で語られていると捉えます。
また
ゲームの企画をする人はゲームオタクではだめだ
なんてことも聞きます。
ゲームを作ったり企画を考えたりするのにゲームが好きなことが邪魔になっているとでもいうような論調が見られます。
主な根拠は「ゲームしか見ていないため視野が狭く、既存のゲームのコピーのような企画や表現しか出てこないため」というようなものです。
本当でしょうか?
私はゲームのプロデューサーとしてこう思います。
ゲームの開発者になるためにゲームが好きなことはほとんどの場合必須条件だと思います。
やはりゲームのトレンドや歴史、なぜ面白く感じるのかなど、ゲームのいろいろな側面をできるだけ知っている方がゲーム開発には役立ちます。
新しいレシピを開発する料理研究家でたとえてみましょう。
料理に興味のない料理研究家が説得力ある料理を作れると思いますか?
食材、調理器具、科学、栄養、味、香り、見た目など多くの知識を総動員して行うレシピ開発、興味がない人にはできないと思います。
なにかを作り出すのには
インプット → ごにょごにょ → アウトプット
というプロセスを踏みます。
私はこれを発想のプロセスだと考えています。
この「アウトプット」に関しては、かなりの部分が既存の知識の助けを必要とします
料理研究家のレシピ開発でいえばやはり最終的なアウトプットは料理の形である必要があるし、ゲーム開発者はの最終成果物はやはりゲームとしての体裁を保っている必要があります。
そういうわけでゲームが好きでないとだめだと思うのです。
ただ、「インプット」と「ごにょごにょ」に関してはちょっと事情が違います。
ゲームオタクが「ゲームしか興味がない人、視野に入っていない人」という意味であれば、よほど突き抜けた人でない限り、やはり十分ではないと言えると思います。
話は少しずれますがバイオミメティクスという言葉を聞いたことがありますか?
生物模倣と言われる概念で、生物の様々な仕組みを自分たちの生活に役立てようという考えです。
わかりやすいところで言えば
オナモミからマジックテープを発想
とか
蓮の葉が水をはじくところからヨーグルトがこびりつかないふたを発想
とか
そういうのです。
全然違うところからエッセンスだけを抜き出して応用させていますね。
ゲームのアイディアもこういう違うところから引っ張ってくる、着想を得ると、より豊かで驚きを与える発想ができるようになります。
このように横にある違う筋から着想を得る思考を水平思考と呼びます。
※対して同じ筋を突き詰めて発展していく思考を垂直思考と呼びます。
- 子供の遊び「だるまさんが転んだ」の面白さのエッセンスをゲームに反映できないか
- 釣りの楽しさをゲームに持ち込めないか(釣りゲーという直球もありですがそれ以外に)
こういうのを、
なぜ面白いのか?
を一生懸命考えると、ゲームの企画に役立つことがあります。
これが「ごにょごにょ」の部分で「分解」「連想」「応用」とでも呼べばいいんですかね。
ゲーム好きな開発者がダメなのではなく、他のゲームを参考にしたとしてもこの分解・連想・応用がしっかりできておらず、あまりひねりのないストレートな模倣になっていると、ユーザーから「劣化コピー」「パクリ」などと批判されるのでしょう。
ゲームは人を楽しませるために開発者が知恵を絞っているのですから、ヒントはゲームの外よりも多いに決まっています。
ただ、それだと閉じていて、いつまでもドラスティックな発展にはつながらないでしょう。
そういうわけで、ゲームの開発者は、ゲームが死ぬほど好きでも全然問題なくて、
- (ゲームに加えて)インプットのチャンネルが多ければ
- ごにょごにょ(分解・連想・応用)がうまければ
- ゲームでそれをアウトプット(具現化)する知識があれば
いいのだと思います。
ゲーム開発を他の分野に置き換えても成立する話だと思います。
それこそバイオミメティクスとか、料理研究家のレシピ開発とか。
ただ、ゲーム好きゆえにゲームの世界に思考がとらわれて抜け出せないという傾向はあると思います。
自己催眠を習慣的にすると物事をフラットに見ることが上手になります。
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こちらもお楽しみください
催眠術師シロのウェブサイト Saimin Masters Club Tokyo